何もないというアイデンティティ

ひねくれた芯があったりなかったりする日々

社会不適合はおもしろい

これは別に社会不適合であることを肯定する訳ではないと言っておきたい。

 

おそらく、人が「自分は社会不適合なのだろうか…?」と思うのは、高校から上、アルバイトなどで社会と触れる機会が多くなるときだと思う。

不登校も社会不適合だと言われるが、いじめや、家庭環境の問題でそうなった人は社会不適合ではないと考えている。

 

なぜなら、それは自分に問題があって社会に適合できなかった訳ではなく、社会の問題ある構成物に押し潰されてしまったからだ。

 

なので、私の言う社会不適合者には当てはまらないものと考えて欲しい。

 

私の言う社会不適合者とは、普通に生きてきて、普通に生活していて、周りの人が普通にできていることができない、

または、それをすることに非常にストレスに感じてしまう、苦手意識を克服できない。そういう人たちのことだ。

 

私とはなんぞや

過去も、そして、現在も、人に何かを伝えようと真面目に考えることはないので、ただの独白になる。

昔から、頭の中で考えたこと、思ったことを一度声に出して、1人で再確認する。という、やたらと非効率な思考をしてきた。

悩み事があると独り言が増える人はいるが、何かを考えるだけでも、独り言を言う人間はそういないと思われる。

神妙な顔をして独り言を言えば、誰か心配してくれる人が現れることもあるかもしれないが、「パンを食べよう」などと、唐突に言い出す人間には誰も寄り付かぬ。人間どころか猫も逃げ出す、私は悲しい。